打越眠主主義人民共和国

”うちこし”と読みます

日記2021/04/01

帰り際に地元の少年バイカー集団(うるさいが交通ルールは守るので暴走族とは呼ばない)を見かけた。原付きから、なんと呼ぶかは知らないがちゃんとしたバイクに乗り換えていた。移ろわないものは何も無いなと思った。

ともあれ、新年度である。2020年はてっぺんからひり出したクソの欠片に至るまでクソまみれだったが、とにかく食い扶持が見つかったのは幸いだと思う。遅まきながら恥の多かったモラトリアムによ~やくおさらばできるのかと思うと、それなりに晴れがましい気持ちになる。

 

せっかく新生活が始まるので、高校卒業以来の数年間を振り返ってみた。

2013年:浪人。駿台の椅子は座り心地が悪かった。私立文系出身なので数学は高二以来だったが、本番三週間前に数学が志望校後期の必須科目であることを知り、頭が真っ白になる。必死に勉強し筆記試験を突破するも、二次試験(面接・身体検査)の壁は分厚かった。全落ちした。

2014年:二浪目。河合塾の椅子は座り心地がやや改善した。ストレスのせいか色彩感覚が狂う、味覚が無い、耳鳴りが止まない等の症状に苦んだ。志望校の筆記試験は通り続けたが二次試験を突破できずに終わった。模試の成績からすれば一次を通っていたこと自体奇跡だったとも思う。本屋の大学願書コーナーに行って目をつむって適当につかんだ大学を滑り止めとして受験し、最初に合格発表が出たところに進学。今にしてみるとこんな感覚で進学したのが間違いだった。

2015年:呆然と過ごしていたらテスト期間がいつの間にか終わっていた。笑

2016年:昔すぎてなにをやっていたか覚えていない。

2017年:この年に大学の学内誌で行われていた懸賞で自作小説が準入選し賞金3万円を貰ったことは今でも自慢に思っている。審査員からは絶賛の嵐だったが最高の入選(賞金5万円)にはわずかに届かなかった。また動画企画で脚本を担当した作品が10万再生を記録したのもこの年だった。なかなか充実した一年だったと思う。年末に渋谷で声かけてくれたアロマエステティシャンのお姉さん元気かな。

2018年:懸賞に去年に続いて応募したが一段回低い佳作となり、賞金一万円。連続当選だから悪くはないけど。10年に1回しか出ないと噂される入選をもし在学中に取れたら作家を目指そうと思っていたが、そこまでの才ではないなと思った。年末には今なお続く恥金時戦争のグランドゼロが起こった。ここから多くの友人達の学生生活が狂った。

2019年:留年生活一年目。卒業する気を完全に失うも将来像を描けず無為に過ごした。年初をC事件の戦後処理(告発記事第一弾参照)で迎え、四月にはD事件(同第二弾参照)が起こる。周辺の話題が完全にシメンカの話題一色になってしまった。毎週飲み会やって毎週同じ話で盛り上がっていた……。

2020年:留年生活二年目。誰にとっても印象に残る一年だったんじゃないだろうか。このブログは恥金時告発で大変な盛況を迎えた。周囲に迷惑をかけ、個人的に悔いが多く残った年だった。思い通りにいかない時もある。

 

こうしてまとめてみると本当にろくでもないな。20代前半これでよかったのか? 後半三年間は恥金のことばっかじゃねーか。今更言ってもしょうがないけど……いい加減開放されたいよ。

ともかく、次の数年こそは頑張ろう。次の日記にはポジティブなことをたくさん書けるようにしたい。