六級海技士の筆記試験に合格した。
簡単な試験だったし感触もよかったが、合否発表のときはどきどきした。合否発表というもの自体に対して悪い思い出が多すぎるから。似たような理由で新年度の時期にも苦手感覚がある。ああ、またもう一年受験勉強やるんだなというあの気持ちを二回味わって、春先ののどかな空気や街の人々のなんとなく浮ついた表情から、それまで受け取っていた感情のいくらかが擦り切れたゴムのように摩耗してしまったというか。
試験勉強をしていると、母親に教えてもらったストレスチェック法のことをよく思い出す。手の指のつめには、指の付け根からつめの先までに縦のしわがはいっている。つめの表面を指先で横方向になでれば、わかるはずだ。そのしわの深さが深ければ深いほど、その人の抱えているストレスは大きいのだという。親指のつめが一番わかりやすいが、なでる方向の縦と横を間違えないように注意する必要がある。
この法則を習ったのは確かまだ小学校に上がる前で、そのとき私のつめを触ってご覧と言われてふれた母親のつめのしわは本当に本当に深かった。その頃の自分のつめにはしわはなかったから、ただ母のつめが特別なんだろうと幼心に考えて、そのときは正直いって法則を信じなかった。
それから何年かたって、中学受験に向けて勉強して終わりのない宿題や湿気のよどんだ塾の教室の空気に苦しんでいた頃、法則のことをふと思い出した。撫でてみると自分のつめには、はっきりとしわができていた。昔の母親のそれほどではなかったが。それからふとしたときに自分のつめを撫でて自分のストレスを確かめるくせがついた。自分の心中にたずねるよりもつめのしわは確実であるような気がした。
二月に第一志望への合格が決まると、ほんの数週間もしないうちにつめはなめらかになった。本当に数日のことだった。つめをなでるくせもやらなくなり、法則のことを心から信じるようになっていたが思い出すことは稀になった。
久しぶりに合否発表というものに触れてふと思い出したので、書き留めておく。